大学を卒業して2社目の会社だよね。大阪の天満にある会社で



○○コンピューターサイエンスというところに転職したよ。きっかけは



1社目の会社でベーシックのプログラミングをしたんだよね。面白そう




だなだと。
 




 この頃は、仕事に対してやる気マンマンだった。スキルを身に着けてバリバリ




稼げるような人間になりたいなと思ったよ。





 社員数は500人くらいの会社なんだけど規模の割に




給料は良くなかったよ。ワンマン社長の感じの会社だったかな。





営業所に社長が入ってくる、幹部たちが立ち上がって他の社員に




お前らも立ち上がれというジェスチャーをして立ち上がらせ、社長に




挨拶させる。で、社長は、お前たち座れというジェスチャーをして座らせる。

 

 よく、北朝鮮の将軍様が入ると周りの者が立ち上がって、あいさつする。




将軍様は、お前ら座れというジェスチャーをして座らせる。あのシーン。

 



  この時代は、結構未経験でプログラマーの募集をしてたよね。




今は廃刊になったBingという転職情報誌で募集してたよ。




研修はチャートの書き方とCOBOLという言語を教えてもらったよ。





COBOLという言語は、その当時は銀行や保険会社のシステムに





よく使われていましたね。

 



 ぼくの同期は10人くらいだったかな。半年で半分くらい辞めたよね。




無駄な残業が多かったね。研修も10時くらいまで



会社にいたよ。帰れせてもらえない雰囲気


を上司が作ってるんだよね。帰るときに、その日したことのレポート




を上司に直接渡さないといけないんだよね。8時にでも渡そうとすると、




他の奴らは残っているのに、なぜお前は帰るんだとか、やる気があるの





かと言って責められるんだよね。プログラミングとかの課題を渡されて、




完全の放置プレー。考えろと言って3日も4日もほっとくの。

 


 上司が言ってたよ。俺の好きな部下は、夜遅くまで残って


仕事をして残業代をいらなという
社員だと。






たぶん、社長が、そういう社員をほしいんだろうね。今、思えばサービス残業





に耐えれる社員を養成してたのかなと思うよ。

 




 研修を終えたら、NTTや保険会社に行って、そこに常駐するの。




システムを考えるのはNTTや保険会社の人たちなんだろうね。




その作ったシステムに対してプログラムを作っていくと。




ぼくはNTTの常駐で、システムのツールを管理する仕事。




よくわからんかったな。

 


たいして能力もないのに、こんな下請け会社ではスキルが付かない





なと思って、転職することばかり考えてたよ。





自分の能力を把握できてないんだよね。今思えば





理系の大学を卒業したんで制御系のプログラムを作りたいとか





思ってたよ。理系イコール制御系とは言えないんだけどね。

 


 で1年くらいして、次の転職先を見つけたんで辞めるの。




でも、次の会社では逆に辞めさせられるんだよね。





人生うまくいかないね。